自己紹介:私が歩んできた道
はじめまして。「月うさぎ」と申します。
今はまだ、この秘密基地のなかだけで活動する名もなき案内人ですが、長いあいだ「妻」として「母」として自分を後回しにし、出口のない暗闇を彷徨(さまよ)っていた一人の女性として、ここに立っています。
私がいま、なぜ「誰かに答えをもらうこと」ではなく「自分の人生を自分で選ぶこと」を、これほどまでに大切に伝えているのか。その理由を、これまでの歩みとともに、少しだけ丁寧にお話しさせてください。
私のこれまでの人生には、今の私の根幹を作る「3つの大きな困難」プラス「愛情」がありました。

夫の事故と、記憶喪失という現実
最初の試練が訪れたのは、私が22歳の時です。長男の出産を目前に控え、幸せの絶頂にいたはずのその日、主人が交通事故に遭い意識不明の重体となりました。集中治療室で管に繋がれ、変わり果てた夫の姿を前に、私はただ泣き崩れることしかできず。医師からは「助かっても植物状態の可能性が高い」と告げられ、未来は一瞬にして閉ざされたかのように思えたのです。
張り詰められた空気のなか長男が誕生し、その産声は、両親や家族の希望の光でした。数か月後に主人の意識が戻ったのですが、奇跡を喜んだのも束の間。夫は「自分が誰か」さえ分からない記憶喪失の状態に陥っていました。私との結婚生活も、共に積み上げた思い出も、すべてが彼の頭から消え去っていたのです。
思い出の写真を見せても、彼の瞳に光が宿ることはありません。絶望の淵にいた私が出した答えは、「過去を思い出すのを待つのではなく、今日からの日々をすべて新しい思い出にしよう」そう思って自分を励ましました。夫の死さえ覚悟したあの経験を通して、「生きてさえいれば、どんなことでも乗り越えられる」という、心の強さが私の中に宿った22歳。

我が子の命を、神様に乞うた日々
二度目の試練は、私が26歳で長女を出産した時にやってきました。産後の喜びも束の間、個室に呼ばれた私たちに告げられたのは、「お子さんは超重度の心臓病を抱え、命が危険な状態です」という、あまりに残酷な宣告でした。
幸せそうに我が子を抱く他のお母さんたちの産声が響く産院で、私だけが孤独な病室に取り残され、心が締め付けられるほど辛くどれだけ泣いたでしょう。「神様、私が何をしたんでしょう」「逆に、私が何をしなかったんでしょう…」「なぜ、私の子だけが……」。一秒が一日に感じるほど長く、暗い地獄のような時間。
その後、娘は一歳半で大きな心臓手術を乗り越え、現在は明るくチャーミングな女性へと成長しています。この経験で「ごく当たり前の日常こそ、奇跡のような最高の幸せなのだ」という、大切な教訓を教えてくれました。

8年間の暗闇、パニック障害からの自力完治
三度目の大きな困難は43歳の時、それは何の前触れもなく訪れました。テレビを見ていたある日、突然襲ってきた「猛烈な不安感」そこから私の、パニック障害との長く孤独な闘いが始まりました。数秒ごとに襲う不安感と恐怖、外に出ることさえ辛く、時には何度も死を考え眠れぬ日々。誰か私の脳を正常に戻して!そんな気持ちがひしめいていました。
子供たちのために絶対死を選ばぬように・・・何としてもトンネルを抜けねば。病院の薬に頼らず自分で治そう。哲学や心理学本やブログを参考に、性格や思考のクセを一つずつ変えていく。発症から7〜8年要しましたが「自力で完治!」この経験と知識は私の最高の宝です。

血の繋がりを超えた、愛の原点
私には、人生を語る上で欠かせない「愛のルーツ」があります。18歳の時、ふとしたきっかけで戸籍を手にし、大好きだった祖母と母に血の繋がりがないことを知ったのです。「おばあちゃんと私は、他人だったんだ……」その事実に激しく動揺し、止めどなく涙が溢れたことを今でも鮮明に覚えています。
涙が枯れた後に気づいたのは、血の繋がらない私たち孫に対し、おばあちゃんが実の孫以上に深い愛情を注ぎ続けてくれたという、揺るぎない「愛情」でした。「血の繋がりなんて関係ない。愛は、誰にでも惜しみなく与え、受け取り、感じることができるもの」祖母が身をもって教えてくれた無償の愛こそが原点であり「誰でも分け隔てなく」それが今、私の生きる軸となっています。

「誰かのための人生」を卒業し、自分の足で立つということ
振り返れば常に「誰かのため」に生きてきました。夫の介護、娘の看病、家族を守ること。それが「当たり前」だと疑いませんでした。しかし、40代後半「私は、私の人生を生きているだろうか?」「自分のやりたい事に見ぬふりをしてなかったか?」
長年連れ添った夫との関係も、今は一つの大きな転換期にあります。パチンコによる借金、繰り返される不機嫌なハラスメント、物に当たる威圧的な態度……。これまでは「夫婦」「家族」と言う形を壊さないよう、夫との衝突を避け、自分を殺して納得させてきました。
もし、離婚や卒婚したら?そんな想像をしたとき”あっ、今の私笑顔になってる”と気付きました。もう顔色を伺って生きる「我慢の牢獄」は終わりにしたい、それが現在の心境です。
たとえ離婚という道を選び、一人で歩み出す未来に繋がっていたとしても、経済的にも精神的にも自立し、自分の人生の舵を自分の手で握りたい。その決意こそが、今の私の活動を支える真のエネルギーとなっています。

今、あなたへ伝えたいこと
かつての私はお金や世間の目ばかりを優先し、自分の気持ちなど後回しにしていた時期もありました。けれど、自分の心に正直に、得意なことで誰かの役に立とうと決めた今、私の心はこれまでにない自由と喜びに満たされています。
私の活動は、単なるWebのサポートに留まりません。かつての私と同じように、何かに縛られ、我慢し、自分を見失いそうになっている中高年女性の背中を、優しく、そして力強く押すこと。それが私の使命だと感じています。
過去を変えることはできませんが「考え方」と「一歩踏み出す勇気」で、なりたい未来は変わります!
私たち家族は今まで数多くの人に「命」や「心」を助けて頂きました。今度は「私が誰かを助ける番」です。「妻」「母」の荷物をおろし、あなたらしく生きる日々を心から応援しています。
あなたが落としてしまった「本当の私」という宝石を、ぜひその手で掴んでください。そして、これから人生後半「最高の人生だった」そう言える未来にしましょう。

