私について

「今、人生を楽しんでいます」

はじめまして。田中まど香です。今の私は、楽しいことが大好きです。

「面白そう!」と思ったら、とりあえずやってみる。やってみて違ったら「あ、違った(笑)」で方向転換。失敗しても「まあ、いっか。なんとかなる」と思えるようになりました。

人からどう思われるかより「私はどうしたい?」を大切にする。そんなふうに生きられるようになった今は、昔よりずっとラクで、自由です。

たぶん今の私だけを見たら「この人、ずっとお気楽に生きてきたんじゃない?」と思われるかもしれません。

でも実は、そうでもないんです。

以前のわたし

若い頃から振り返ってみると、「波乱万丈」そんな出来事が色々とありました。

そのたびに笑って乗り越えてきた――
なんて、そんなカッコいい話ではありません。

辛いときは、地獄の毎日だと思うほど辛かった。怖いときは、寝ても覚めても「これが夢であって欲し」そう思うほど現実を突きつけられました。

でも今振り返ると、その一つひとつが今の私の考え方や、人に寄添う心が養われたのだと思っています。

ここで少しだけ、昔の話をさせてください。

私をつくった、3つの出来事

18歳|血のつながりより、大切なもの

18歳のとき、偶然手にした戸籍で、大好きだった祖母と母に血のつながりがないことを知りました。「おばあちゃんと私たちは、血がつながっていなかったんだ……」当時の私はかなりショックで、泣き崩れました。

でも、少し時間が経って気づいたんです。血がつながっていなくても、おばあちゃんは私たち孫を本当に大切にしてくれた。たくさんの愛情を注いでくれた。

だったら、人を想い愛することに、血のつながりなんて関係ないんじゃないか。私は人と接するとき、その人の肩書きや立場よりも、その人自身を見ることを大切にしています。損か得かより、心がどう動くか。

振り返ると、その根っこには祖母からもらった愛情があるのだと思います。

22歳|昨日までの「当たり前」が、突然なくなった

22歳のとき、私は長男を身ごもった臨月の妊婦でした。もうすぐ赤ちゃんが生まれる。そんなとき夫が交通事故に遭い、意識不明の重体に。集中治療室で管につながれた夫を前に、私はただ泣くことしかできませんでした。

医師からは、「助かっても植物状態になる可能性が高い」と告げられました。そして夫の意識が戻らないまま、私は長男を出産したのです。

同じ病室では、他の方のご主人が普通に面会に来る。それまで何とも思わなかったそんな光景が、あのときは本当に悲しかった。そんな中で生まれた息子が、家族みんなにとっての希望でした。

数か月後、夫は奇跡的に目を覚ましましたが、「よかった!」……で終わらなかったんです。夫は記憶喪失になっていて、私と結婚していたことさえ覚えていませんでした。写真を見せても、思い出せない。

それならもう、「過去が思い出せないなら、これからの毎日を新しい思い出に変えていこう」そう思うことにしたのです。

あのとき私は22歳。夫の死を本気で覚悟したことで、死は、年齢を選ばない。ということを初めて身近に感じました。

だから私は今でも、「いつか」より「今」を大切にします。やりたいと思ったら、できるだけやってみる。会いたい人には会う。楽しめるときには、ちゃんと楽しむ。

そんな思いは、この22歳の経験から多くを学びました。

26歳|「普通の一日」こそ幸せ

26歳で長女を出産したとき、また大きな出来事がありました。娘は重い心臓病を持って生まれたのです。小さな体にたくさんの管がつながれ、命が危険な状態だとも告げられました。

「神様、私が何をしたんでしょう」
「逆に、私が何をしなかったんでしょう……」
「なぜ、私の子だけが……」
涙が溢れ、私の命をこの子のあげて欲しい。ただただ、そう願いました。

その後、娘は1歳半で大きな心臓手術を受けました。手術を乗り越えた娘は成長し、今では明るくチャーミングな大人の女性に成長しています。

この経験から私の中に残ったのは、ごく普通の日常って、実はものすごく幸せなんだ。ということでした。

家族がいて、ご飯を食べて、笑って、いつもの一日が終わる。何も特別なことが起きない一日。昔の私はそんな日を「普通」と思っていたけれど、今はちょっと違います。何もない日も、なかなかいい。

今あるものを楽しもうと思える私の根っこには、娘が教えてくれたこの感覚があります。

最後は、自分のメンタルがSOS

ここまでいろいろなことを経験してきた私ですが、以前の私はずっと、自分に自信がありませんでした。

「私は人より劣っている」「何をやっても続かない」「スキルも強みもない」そんなふうに、自分で自分にダメ出しすることが多かったんです。

失敗することがとても恐怖でした。何かやってみたいと思っても、「失敗したらどうしよう」「失敗=大問題」と考えてしまう。

今の私を知っている人には、「え? まど香さんが?」と言われそうですが(笑)、本当にそうでした。

43歳のとき、突然パニック障害になり、それは暗い暗いトンネルで、抜けるのに8年かかりました。それをきっかけに心理学や哲学を学びながら、それまであまり見ようとしてこなかった、自分の内側と向き合うことに。

そこで少しずつ気づいたんです。同じ出来事でも「自分がどう捉えるか」で、物事が変わること。できなかったことばかり見ていたら、自分なんてダメだと思う。でも、できていることだってちゃんとある。

失敗したら終わりだと思っていたけれど、やってみて違ったら、また考えればいい。そうやって、自分への見方を少しずつ変えていきました。

もちろん、ある日突然、「はい! 今日から私はポジティブ人間です!」なんて変身したわけではありません(笑)。少しずつ、少しずつ「まあ、いっか」「そんなこともある」「なんとかなるでしょ」そう思うようにしていったのです。

今の私は失敗が怖くありません、むしろ「失敗さん、ようこそ」と思える。失敗することより「やってみたい!」自分の心の声を何より大切に。「まあ、いっか!なんとかなるさ」と思える今の私は、最初からこんな性格だったわけではありません。

40代の頃、自分で自分を苦しめていた考え方を、ひとつずつゆるめてきた。その先に、今の私があります。

やりたいことの「選び直し」

私は長年、家事子育てそしてパートで働く主婦でした。それはそれで普通に楽しく暮らしていたのですが、50代になった頃、ふと思ったんです。「私の人生、やり残したことないかな?」

子育てもひと段落した。まだ元気。時間もできた。人生の後半は、やり残しを叶えたい。時間や人に拘束されるパートでなく「起業したい」そう思って、最初に始めたのが「生前整理アドバイザー」という仕事でした。

なぜ生前整理だったのかというと、「これなら需要がありそう。稼げるかもしれない」と思ったからです。……はい、最初から「これが私のやりたいこと!」が分かっていたわけではありません(笑)。

活動を始めるために、自分でホームページも作りました。分からないことだらけだったので、調べて、試して、失敗して、また調べる。

ところが、いざ生前整理アドバイザーとして活動してみると、あれ?なぜか、心が踊らない。「やりたいと思って始めたはずなのに、なんか違う……」一方で、妙に夢中になっていたものがありました。

起業ため作っていた、ホームページです。デザインを考えるのが楽しい。分からない設定を調べて、自分で解決できると嬉しい。気がつけば、生前整理そのものより、ホームページを作っている時間のほうがずっと楽しかったんです。

ふと、「あれ? 私が好きなのって、ホームページ作りなんじゃない?」と。生前整理を始めたことが、間違いだったとは思っていません。だって、ホームページを作ってみなければ、自分がこんなに夢中になれる事も、現在の「ホームページ講師」にもなれなかったのですから。

やってみた(行動)。違った(失敗)。じゃあ、変えよう(軌道修正)。遠回りは決して無駄ではなく、自分の「本当の声」に近づいていくと思います。

50代になっても、自分が本当に好きなことなんて、最初から分かっているとは限らない。私の場合は、やってみて、違って、また選び直したら、「私が好きなのは、こっちだったんだ!」が見つかりました。

そして今、私がやりたいこと

50代になって初めて自分の仕事を始めて、やってみたら「なんか違う」と方向転換して(笑)、好きだったホームページを仕事にしました。そして60代を迎える頃から、また少し、自分の中に変化が出てきました。

これまでは、「私はどうしたい?」を考えて、自分の人生を選ぶことが多かった。でも最近は、自分がこれまで経験してきたことや、誰かから受け取ってきたものを、今度は次の誰かに渡していけたらいいな、と思うようになりました。

……なんて書くと、ちょっと立派すぎますね(笑)。

そんな大げさなことではなくて、「やってみたいけど、どうしよう」と迷っている人がいたら、「やってみたら?」と言える人でいたい。やってみて違ったら、「これでひとつ、自分と合わない物が分かってよかんたじゃない」と言える人でいたい。

私自身、最初から自分のやりたいことが分かっていたわけではありません。やってみて、違って、また選び直してきました。

だから、答えを教えるというより、その人が自分で「私はどうしたい?」を見つけるまで、一緒に考えたり、ちょっと背中を押したり。今はそんなふうに人と関わることが、私の仕事になっています。

ブログでは、これまでの経験や日々感じたことを書く。個別セッションでは、話しながらその人の「本当はどうしたい?」を一緒に探す。ホームページ作成講座では、「自分で作ってみたい」という人が、自分のホームページを完成できるまで一緒に走る。

やっていることは違うように見えるけれど、私の中では、どれもそんなに離れていません。

誰かが、「私もやってみたいな」と思うきっかけを作ること。そして、その人が自分で一歩進んだ先で、いつかまた誰かの背中をちょっと押す人になったら。それはなんだか、すごく嬉しいなと思っています。

そんなことを考えながら、Lucky factoryを作っています。

ちょっと寄り道。まど香年表

ここまでちょっと深い話が続いたので、少し寄り道。振り返ってみると、私の人生はなかなかのジェットコースター。でもその合間には、笑えることや「面白そう!」で飛び込んだことも。読んでクスっと笑って頂けたら嬉しいです(笑)

📚 生まれ育ち

年代できごと
1967年東京都墨田区でぽっちゃり長女として誕生
小学生肥満児なのに、お肉が大嫌い
中高生体重70kgオーバー。体育が得意で、ユーモアと友人の多い青春時代

💼 社会人になってから

年代できごと
社会人営業事務に。制服がきつすぎて、お腹をひっこめて着用 → 結果10kg減
1988年オーストラリアへワーキングホリデー
1989年結婚と出産。夫が事故で意識不明・記憶喪失。その2週間後、長男誕生
1990年「関口宏のクイズ100人に聞きました」出場経験(笑)
1993年長女誕生(超重度の心臓病)。幼児期に心臓手術
1995年墨田区から越谷市へ引っ越し
2001年息子から「お母さんっておデブちゃんだよね」の一言でダイエット→ 18kg減量成功!

🌱 転機と挑戦

年代できごと
2010年パニック障害発症、生活が一変
2011年「越谷の肝っ玉母さん京塚昌子」として、ランドセル5個寄付
2017年8年かけ、パニック障害を自力完治
2019年生前整理アドバイザーとして活動
2020年本田晃一さんの「マイグレートメンター」第1期認定講師
2022年HPの作り方を教える講師として「好き」「得意」を仕事に
2024年本田晃一さんの「マイグレートメンター」公式HPをサポート中

🌞 今とこれから

今後行動と想い
50代・60代女性の「好き・得意を仕事にする」をサポート
AIやホームページなど、苦手なデジタルを「分かりやすく」教えるのが得意
売上一部を「こどものホスピスプロジェクト」へ継続寄付。病気の子どもとその家族を応援
これからいつか、養護施設を巣立つ子どもたちにWebスキルを教えるようなこともしてみたい
自分のアンテナが「面白そう!」と思ったら、きっとまた何か始めます(笑)

仕事について、少しだけ

ホームページの事も、人の心に寄り添う事も
学びながら数多くの経験を重ね、
このような仕事を提供しています。

ホームページ・Webの仕事

・Webマスターコース修了
・Webスタンダードコース修了
・ホームページ作成講座
・ホームページの運営、サポート
・AI使い方指導
・Canvaの使い方指導

人や心に寄り添う仕事

・本田晃一「マイグレートメンター」認定講師 一期生

・「マイグレートメンター」公式ホームページ運営サポート

・個別相談、メンタルサポート

さいごに

ここまで私の話に付き合ってくださって、
ありがとうございました。

あなたはこれから、
どんなことをしてみたいですか?

どんな楽しい人生にしたいですか?

ブログを読

ちょっと話してみる

ホームページ作りを学

~小さな応援~

売上の一部を「こどものホスピスプロジェクト」へ寄付しています。活動に共感してくださる方にも、応援の輪がつながったら嬉しいです。

公益社団法人
こどものホスピスプロジェクト
日本ではじめてのコミュニティ型こどもホスピス。