他人の期待に応えない勇気

夜の部屋、キャンドルと開いた日記
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他人の期待に応えない勇気

誰かを喜ばせることが好きな人って、相手のあらゆる情報をいつも感じているものです。

たとえば好きなもの、好きな食べ物、好きな色、興味のあるもの。些細な言葉を覚えていたり、ちょっとした変化にも気付くことができる、おもてなしの天才。

相手の好みや趣向にぴったりはまった時など、それはもう、相手以上に「やったーーー!」というはしゃいだ気持ちになります。例えるなら、照れがあるので顔は平静を装い、脳内イメージでは外国人になったかの如く「Yes!」と叫びながら、相手をガシッと抱擁している自分。

職場で言うなら「これをやったら皆のためになるかな」「誰かの負担が減るなら手伝いたい」そんなふうに自然と動けてしまう。まるで、ちびまる子ちゃんに出てくる塙くんの執事「ひで爺」みたいな人なのかもしれません。

そんな行動は、自分の心が元気な時なら「幸せ」に感じます。見返りを求めているわけではなく、ただ嬉しくてやっているから、何の負担も感じない。

でも、少しでも心の違和感や疲れを感じたら、それはキャパオーバーの合図。そんな時こそ「私、ほんとは疲弊してない?」って、心に聞いてあげてほしいのです。

他人の期待と、自分の気持ちは同じではない

他人の期待に応えることって、実は「他人の要望を叶える」こと。でも、相手の期待=自分もそうしたい、とは限りません。

本当はやりたくない。重荷に感じる。ストレスに感じる。そんなことだってあります。

たとえ小さなことでも、黒い水滴が「ポタッ、ポタッ」と落ちるように、気付かぬうちに自分の心を変えていってしまう。

私も昔は、人が望む行動や気遣い、先回りして動くことをしていました。「ここまでやれば喜んでもらえるかな」そんなことをいつも考えて。

でも、とうとう心がSOSを発令!こういう性格の人は「黄色信号」に気付けません。赤色になって初めて「もう辛い」「耐えられない」と気づくのです。何のために、誰のために頑張ってきたのだろうって。

そんな経験をして分かったことは「他人の期待に応えたい」のではなく「良い人だと思われたい」そんな気持ちが根っこにあること。つまり「かっこつけ」ているんです、笑っちゃうことに(笑)

相手の期待に応えるカードを、いったい何枚集めるんだろうって感じです。

ありのままでも、悪人にはならない

それから私は、小さな「応えない」をやってみることにしました。

「これを私がやっておいたら、皆喜ぶだろうな」そう思っても、「でも、応えなくても大丈夫」と心の中でつぶやく。すると今度は「悪く思われないかな」「嫌われないかな」そんな不安が顔を出します。

でも次第に「あぁ、またカッコつけようとしてる(笑)」と思うようになりました。その度に毎回フフっと苦笑い。

そんなことを繰り返すうち、周囲の目は何も変わらない、反感もない、嫌われてもいない。結局、誰も見ていないステージで「期待に応える、応えない」の芝居を演じていただけだったのです。

まさに観客無しの、ひとり芝居です(笑)自分で自分を苦しめる「勝手な思い込みのドラマ」を演じていただけなのかもしれません。

いま私は、「他人の期待に応えない勇気=自分に嘘をつかないこと」なのだと思っています。

ありのままって、思っていたよりラク。それで離れる人は、もともと合わなかった人。それでも続いていく人が自分と合う人。

人に気遣いをして生きてきた人は、ありのままになったからといって、突然悪人にはなりません。変わったとしても「それでも普通」ですので何の心配もいりません。もしかすると、それでもまだ十分優しい人です。

だからもし、そんなあなたが出てきたら「またカッコつけようとしてるな(笑)」って、笑ってみてくださいね。

ホットミルクより☕

ありのままになったら、冷たい人になってしまう。昔の私は、本気でそう思っていました。でも実際そんな事はなく、個性豊かな本当の私になれました。

そして不思議なことに、その方が人から「あなたみたいに生きてみたい」とも言われるように。でも、たまにまだ「ひとり芝居」も出ちゃいますけど(笑)

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